日本野球の歴史 1872年

野球と歴史

日本野球の歴史と、時代の出来事その1

 

日本野球の歴史

野球好きなら「日本史や世界史」と「その年に起きた野球に関する出来事」を関連付けてみると、記憶に残り易いかも知れません。時代が動いたとき、野球界では何が起きたのかを検証します。今回は、その第一段として検証してみました。

1872年(明治5年) 日本にベースボールが伝わったとされる年

日本に「BASEBALL」が伝わったのは1872年、第一大学区第一番中学(現在の東京大学) の教師であったホーレス・ウィルソンがベースボールを伝えたとされています。一体、どんな年だったのでしょうか?

1872年(明治5年)の出来事。

  • 江戸城が「皇居」となる。
  • 日本初の鉄道が「新橋-横浜」間に開通。
  • 富岡製糸場開業。
  • 暦(こよみ)が「太陰暦」から「太陽暦」へ



江戸城が「皇居」となる

天皇一族が移り住むことにより、江戸城が皇居となった年です。こうして東京が、事実上日本の首都になりました。現在、首都機能はほぼ東京に集中しています。

 

日本初の鉄道が「新橋-横浜」間に開通

の年に日本初の鉄道が開通しました。

鉄道といえば、現在のプロ野球界は阪神・西武と鉄道会社2社が球団を所有しています。しかし、かつては阪急・近鉄・南海・西鉄・国鉄(現JR)・東急も球団を所有していました。とういうことは、日本プロ野球の発展は鉄道会社を抜きにしては語れません。

その鉄道が開業した年と、日本に野球が伝わった年が同じというのも縁を感じます。

 

富岡製糸場開業

現在は世界遺産に指定されている富岡製糸場が開業。日本に野球が伝わると同時に、近代的な工場が誕生します。

野球はアメリカから、そして技術は主に「産業革命」が起こったヨーロッパから取り入れました。このことにより、明治になり急激に国際化が進んだことがうかがえます。以後、衣類についても発展を遂げることになります。野球のユニは製糸では作られませんが、決して無縁ではないはずです。

 

暦(こよみ)が「太陰暦」から「太陽暦」へ

それまで日本の暦は「太陰暦」を使用してきました。しかしこの年、現在の暦「太陽暦」が採用されることになりました。主な違いは以下のとおりです。

①太陰暦:月の満ち欠けを基準に1ヶ月を決め、12ヵ月を1年とする。

  • 毎月、新月は1日、三日月は3日、満月(十五夜)は15日。月の満ち欠けで日付を確認できる。
  • 1ヵ月が約5日となるため、29日の月を6ヵ月と、30日の月を6ヵ月に定め、調整する。
  • 1年を354日とし、3年に一度閏月(うるうつき)がある。その年は1年が13ヵ月になる。

②太陽暦:太陽の動きを基準に1年を365日とし、12ヵ月に分ける。

  • 正確には1年が365日と4時間になるため、4年に1度閏日があり、1年が366日になる。
  • 古代エジプトで、ナイル川が氾濫する時期を見定めるために観測したのが起源とされる。

太陰暦が採用されていた時代は3年に1度、年13ヵ月になる年があったのです。それを欧米に合わせて太陽暦に変更しました。(採用理由については諸説あり)

仮に、現在でも太陰暦が採用されているとしたら、野球界ではどのような現象が起こるでしょうか?

閏月がどの月になるかにもよりますが、閏月を2月~3月とした場合、プロ野球のキャンプインから開幕までの期間が1ヵ月多くなります。そうなると開幕までの準備期間も延び、各チームの調整具合が変わってくることでしょう。そのため、閏月がある年に強くなるチームが現れる可能性があります。

また、閏月を4~12月とすると、シーズン終了から翌年のキャンプインまでが1ヵ月多くなります。FA選手との交渉や外国人選手の獲得、ドラフトでの交渉期間等が伸び、補強の上手なチームが強くなるかも知れません。

「たられば」の話ではありますが、このような推測をすると、楽しく覚えられるのではないでしょうか?

 

その他

その他、武士の総本山だった江戸城が皇居に代わった年。一般人から兵隊を募る徴兵令が発布された年でもありました。武士の時代が終焉を迎えた年だったようです。当時の人々は、時代が急激に変化する中、必死に生きていたことでしょう。

そんな中、ルールが複雑で専用球場や用具が必要、人数も集める必要がある野球が広まったのですから、不思議なものです。

時代を先取りする人というのは、時代に左右されない人だという証拠ではないでしょうか?

 



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