元千葉ロッテマリーンズ 島孝明講演会

雑記

【野球取材歴20年の編集者と「楽しく」識者に聞く 魅力を引き出すインタビュースキル講座】

以前こちらの記事で紹介しました、元千葉ロッテマリーンズ投手、島孝明氏の講演会がありました。タイトルは、ネット上でも有名なスポーツメディア【Full Count9】所属記者のスキル講座ということでしたが、事実上はインタビュー形式の講演会となっておりました。

野球と格言・文武不岐

 

【プロ野球にドラフト指名⇒引退⇒國學院大學へ進学⇒慶應大学大学院へ進学】という異色の経歴を持つ選手。学校ではどんな勉強をしているのでしょうか??

本来は、野球専門のスポーツ記事メディアを運営している【Full-Count】の楢崎豊氏が主宰するスキル講座でした。

正式な題名はタイトルのとおりです。

【野球取材歴20年の編集者と「楽しく」識者に聞く 魅力を引き出すインタビュースキル講座】

 

インタビュー形式で進行されるやりとりは、とても分かり易いものでした。

 

1.島孝明が野球を始めたきっかけと時期

島孝明さんが野球と出会ったのは3歳のとき。既にお父さんとキャッチボールをしていたそうで。

お父さんも野球好きだったのでしょう。

小学1年生になる頃には、本格的に野球を始めることに。当時は、テレビでプロ野球を見るよりも、自分でバットを握ってボールを追いかける方が楽しい、そんな活発な子どもだったそうです。

意外にも、野球を始める前にはサッカーに取り組んでいた時期もありました。ただ、「サッカーは下手だった」と本人も笑って振り返っており、自分に合っていたのはやはり野球だったと語っていました。

私の周りには「野球で芽が出ないからサッカーに行った」人間はたくさんいましたが、その逆は初めて聴きました(笑)

2. 中学時代の野球生活と成長 

中学時代、島さんの心を強く動かしたのが、元阪神タイガースのストッパー・藤川球児投手の存在です。火の玉ストレートに憧れ、彼のようなピッチャーになりたいという思いが、努力の原動力になっていたといいます。

シニアリーグに所属し、レベルの高い環境で野球漬けの日々を送りました。特に印象深いのは、同世代のスター選手たちとの対戦経験。ヤクルトの木澤尚文選手、広島の坂倉将吾選手らとも対戦したことがあるそうで、後にプロの世界で名を馳せることになる選手たちとしのぎを削った経験は、確実に彼の成長を後押ししました。

その頃の千葉の野球レベルが、どれだけ高い状態かを物語るエピソードです。

3. 高校野球での活躍とエピソード

島さんは、千葉県の東海大学付属市原望洋高等学校に進学。1年生のときからベンチ入りし、そのまま夏の甲子園へと出場しました。対戦相手は熊本の城北高校。試合は雨の中で行われ、通常なら選手が持ち帰る「甲子園の土」も、その場で拾うことができなかったそうです。後日、学校を通して土を送ってもらったというエピソードは、島さんにとっても特別な思い出として残っているようでした。

3年生の夏の千葉大会では、現在楽天イーグルスで活躍する早川隆久投手率いる木更津総合高校と準々決勝で対戦。先発は、現在東京ヤクルトスワローズの金久保優斗投手。島さんはその試合で2番手として登板しましたが、チームは1対0で惜しくも敗退。最後の夏、甲子園へは届きませんでした。

4. プロ入りの瞬間――ドラフトで指名されたとき 

迎えた2016年プロ野球ドラフト会議。

この年は、現在ファイターズの守護神である田中正義、そして外れ一位なのに5球団から指名を受けた佐々木千隼に注目が集まっておりました。

地元・千葉の球団である千葉ロッテマリーンズから指名されたのは、嬉しさひとしおだったと語っています。

当時の監督は、王者西武の扇の要、レジェンド名捕手伊東勤氏。地元球団でプロの世界に入れることに、大きな希望を抱いていたことでしょう。

しかし、プロ入り後、突然心を襲ったのがイップスという壁。ボールが思ったところに投げられなくなる、ピッチャーにとって致命的ともいえるこの症状に、島さんは悩まされました。

島さんは心理カウンセラーにも通いながら、「イメージと体の動きを少しずつ合わせていった」と、前向きに取り組んだ日々を振り返っていました。

努力の甲斐あって、プロ3年目の春季キャンプでは1軍に帯同。順調に見えた矢先、再びイップスが発症します。「治ったと思ったのに…」という気持ちは、本人にしか分からない辛さだと思います。

5. 引退を決意した理由とその背景 

そんな苦しみの中でも、球団からは育成契約での継続オファーがありました。それでも島さんは、あえてプロ野球選手としての道に区切りをつける決断をします。

その理由は、「将来を真剣に考えた結果だった」とのこと。野球だけではない、新たな可能性を広げるために、次のステージとして大学進学を選んだのです。この決断には、相当な勇気が必要だったはずです。それでも、「ここで終わらない」という強い意志が、その先の歩みに繋がっていきました。

ちなみに、プロ入りするときも、第一志望は大学で野球を続けることだったそうです。

それだけ勉強熱心な人なのだと伝わってくると共に、自分も頑張らねばと勇気をもらえました!!

6. 大学進学後の勉強と再び見えた可能性 

大学進学という新たなステージに進んだ島さんでしたが、そのスタートは決して理想通りではなかったそうです。

大学入学と同時に、新型コロナウイルスの流行期に突入。期待していたキャンパスライフは一変し、授業のほとんどがオンラインに。唯一、対面で受けられたのは体育の授業だったそうです。

そんな環境の中でも、地道に学びを積み重ねていきました。

驚くべきことに、卒業のタイミングでプロ野球のトライアウトに挑戦。独立リーグや社会人チーム、さらにはオイシックス新潟アルビレックスBCからアナリストとしてのオファーも受けたそうです。

大学の野球部に入れるわけがないので、どうやって練習していたのか質問コーナーで聞いたところ、大学の軟式野球部で2ヵ月程度の実践練習を積んだとのことです。

そして、軟式の打者に結構打たれたとか?軟式や準硬式もレベルは高いですからね。それもうなずけます。

このトライアウトの中で、島さん自身が大きな変化を実感します。かつて苦しんだイップスの症状が克服されている――そう確信できたのは大きな収穫だったようです。

7. 大学院進学という新たな挑戦 

しかし島さんが選んだのは、再び野球のフィールドへ戻ることではなく、慶應義塾大学大学院への進学という道でした。

その理由は明確でした。
それは、自らが経験したイップスという心の問題を、学問的に解明したいという強い想い。

「野球を諦めた自分を救ってくれたのは、心理学やカウンセリングという“学び”だった。だからこそ、自分の経験を活かして、次は誰かを助ける側になりたい」

そう語る島さんは、研究者としての新しい目標を持ち、今も前に進み続けています。単なる挫折ではなく、その経験を「研究テーマ」にまで昇華させる姿に、聞いている私たちも胸を打たれました。

人間として見習うべき姿です。

8. これからの目標と新たな挑戦

島孝明さんが目指す未来には、「野球の新しい形」と「心のケア」という2つの大きな柱があります。

近年、球場は単なる試合会場ではなく、“ボールパーク”というエンタメ空間へと変化しています。野球に興味がない人も訪れるようになり、球場全体がファミリーやカップル、観光客を巻き込む空間になりつつあります。

「これは、野球の未来にとって大きなチャンスだと思うんです」と島さんは語ります。野球がより身近なスポーツとして、多くの人に届く可能性が広がっている今、そ

の発展に何らかの形で貢献したいという強い思いが感じられました。

一方で、島さんのもうひとつの大きな目標は、やはりイップスの研究です。自らが苦しみ、そこから立ち上がった経験を、次の世代の選手のために活かしたい。イップスに悩む選手の心理や行動を科学的に分析し、「救う側」になりたいという強い意志がにじんでいます。

さらには、試合中の応援や観客の声援が、選手のパフォーマンスにどう影響するか――スポーツ心理の視点からの研究テーマにも関心があるそうです。ホント研究熱心な方でした。

2回目以降があるかは不明ですが、大学での研究の成果・卒業してからの活動等、興味深々なところがたくさんある島孝明さん。今後の活動も、応援しながら注目していきます!!

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