日本野球の歴史 1873年

野球と歴史

日本野球の歴史と、時代の出来事その2

 

日本野球の歴史

野球好きなら「日本史や世界史」と「その年に起きた野球に関する出来事」を関連付けてみると、記憶に残り易いかも知れません。時代が動いたとき、野球界では何が起きたのかを検証します。今回は第二段、1873年の出来事です。

1873年(明治6年) 野球場が整備される。

日本に野球が伝わった翌年、本格的な野球場が整備されました。いよいよ日本野球の始動です。その年には、どのような出来事があったのでしょうか?

※画像は参考であり、日本初の球場ではありません。

1873年(明治6年)の出来事。

  • ヨーロッパ、北アメリカで金融危機が起こる。(1873年恐慌)
  • 日本初の小学校、日本師範学校附属小学校設立。
  • 野球殿堂、阪急グループの創始者「小林一三」生誕。
  • 徴兵令施行。
  • 地租改正。
  • 明治6年の政変。

 



ヨーロッパ、北アメリカで金融危機が起こる。(1873年恐慌)

アメリカとヨーロッパで、大きな金融危機が起こった年です。資金を回収できなくなった鉄道投資の失敗、証券取引所の崩壊等、一度に色々な問題が起こりました。日本初の鉄道が開業した翌年に、鉄道投資の失敗で世界恐慌になったというのも、なんとも皮肉な話です。

 

日本初の小学校、日本師範学校附属小学校設立。

前年1872年に「学制の発布」がありました。すべての国民に小学校教育を受けさせる「義務教育」の開始です。

そしてこの年、学制に基づいた日本初の小学校、東京師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)が設立されました。現在、”筑波大付属高校”から東大野球部に入る選手も少なくありません。日本最初の小学校も、野球の発展に大きく貢献したといえるでしょう。

 

野球殿堂、阪急グループの創始者「小林一三」生誕。

パリーグの名門「阪急ブレーブス」の設立者にして野球殿堂入りしている、小林一三(こばやし・いちぞう)氏が生誕した年でもあります。野球界の偉大な功労者は、日本初の野球場と同じ年に誕生したのでした。

 

徴兵令施行

前年の1872年に発布された徴兵令。軍隊を、武士ではなく一般から集める方式が、この年から採用されました。

参考までに、お隣韓国では現在でも徴兵制が採用されており、誰もが一定期間軍隊に入ります。ですが一部例外として、野球の韓国代表が国際大会で好成績を収め、その選手達が「兵役免除」となったことがありました。もちろん野球に限ったことでは無く、様々なジャンルで免除される場合があります。しかし一部の著名人だけであり、ほとんどの人は免除とはなりません。

 

地租改正

江戸時代は、幕府が田畑を売買することを禁止していました。しかし明治になり政府はその制度を廃止、土地の所有者に地券(土地の権利書)を発行して所有を認めました。このことがきっかけで、地域による土地の値段「地価」が始まったともいえます。そして地価の100分の3を地租(税金)として納める義務を定めました。これを地租改正といいます。

とはいえ日本初の野球場は、土地の売買で確保された訳ではないと思いますが・・・。その辺は定かではありません・・・。

 

明治6年の政変

日本初の野球場が出来た年、西郷隆盛を中心として征韓論が起こりました。鎖国している朝鮮国を開国させようという考えです。今ほど平和な時代でないので、もちろん武力行使の話に発展しました。しかし欧米視察から帰った岩倉具視・大久保利通らに反対され、これを断念。怒った西郷隆盛らの征韓論者は、明治政府を辞職して地元へ帰ることになりました。この出来事を「明治6年の政変(征韓論政変)」といいます。

 

その他

この年は小学校が設立されたり、野球のグラウンドが出来上がったりと、日本が近代国家として発展している最中だったことがうかがえます。反面、明治になっても「一揆」が起こるなど、社会情勢はまだまだ改革しきれていなかったようです。

またこの年は、国際結婚が認められたり、キリスト教が解禁になったりと、国際化が進みました。しかしそれは、欧米列強のいいなりだったという部分も否定できません。まだまだ日本は先進国と認められていなかったようです。政治がこれだけ不安定なのですから、一般の国民も大変だったことでしょう。球場が出来たとはいえ、時代は野球どころでは無かったようです。

 

 

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