日本野球の歴史と、時代の出来事その3
日本野球の歴史
野球好きなら「日本史や世界史」と「その年に起きた野球に関する出来事」を関連付けてみると、記憶に残り易いかも知れません。時代が動いたとき、野球界では何が起きたのかを検証します。今回はその3、1878年の出来事です。
1878年(明治11年) 日本初の実業団野球チーム、新橋アスレチックスクラブ創設。
いよいよ、日本にも本格的な野球チームが誕生した年。アメリカで鉄道技術と野球を習得した平岡煕(ひらおか・ひろし)が、帰国後に結成しました。平岡煕は1959年、最初の野球殿堂入りとなった人物でもあります。
1878年(明治11年)の出来事。
- 大久保利通暗殺
- トーマス・エジソンが蓄音機の特許を取得。
- 愛国社再建
- 東京証券取引所の前身である東京株式取引所が営業を開始
大久保利通暗殺
明治維新の功労者、大久保利通が暗殺された年でもあります。明治になり武士の特権が次々と失われる中、前年の1877年には西南戦争が勃発。西郷隆盛をはじめ、大久保利通のかつての仲間が大勢戦死しました。その翌年、早くも野球チームが誕生したのです。スポーツを軍事訓練でなく、娯楽として扱う時代に向かっていたのかも知れません。
トーマス・エジソンが蓄音機の特許を取得。
世界の発明王トーマス・エジソンは、音を録音し、再生させる「蓄音機」の実験に成功。1878年に特許を取りました。この蓄音機が、後に平成に入るまで主流となった「レコード」の原点となります。蓄音機が発明されたおかげで、音楽が大きく変わりました。
昭和の野球事情では、レコードデビューするプロ野球選手も珍しくありませんでした。今となっては懐かしい文化です。
愛国社再建。
1875年に政治結社を統一するために結成され、その後解散状態になっていた「愛国社」が再結成されました。この後、自由民権運動が盛んになっていきます。
東京株式取引所が営業を開始
東京証券取引所の前身である、東京株式取引所が営業を開始した年でもあります。(大阪株式取引所も同年)
新しい一万円札の顔、渋沢栄一らが中心となり、この年5月にオープン。さらに6月には大阪株式取引所が営業を開始しました。
渋沢栄一はフランスやイギリスで仕事をした経験を活かし、そのしくみを日本に取り入れることに成功。日本が経済大国となる礎を作りました。
後年、日本経済の発展に伴いスポーツも発展していきます。経済が良好でないとスポンサーが見つかりませんし、人々がスポーツにお金を使う余裕もなくなります。経済が良好なことにより企業が出資可能となり、一般人がお金を使えるという経済の流通があるからこそ、スポーツが盛んになるのです。おかげで現代では野球の他、サッカー・バレーボール・・格闘後等、幅広いプロスポーツが誕生しました。
アマチュア界をみても、経済が良好でないと企業が実業団チームを所有できなくなりますし、学生が安心して部活動に打ち込めません。それを証拠に、90年代のバブル崩壊後は多くの実業団チームが姿を消しました。スポーツにとって、経済はとても大切な要素なのです。
その礎を築いたのが渋沢栄一。関節的ですが、スポーツの発展に大きな影響を与えました。お札の顔になるのも納得です。
その他
恩賞・待遇に不満を持つ兵士が武装蜂起、後に鎮圧された「竹橋事件」が起こった年でもあります。早稲田大学の創設者である大隈重信邸が発砲されました。竹橋と新橋は、現在では車で10分程度。この当時の道路事情は不明ですが、直線距離でそれほど離れていません。日本最初の野球チーム、新橋アスレチッククラブにも何か影響があったのでしょうか?
ちなみに大隈重信は、日本で最初に「始球式」を行った人物とされています。