日本野球の歴史と、その時代の出来事
野球伝来のもう一つの考え方、クリケット
諸説ありますが、野球の前身はクリケットといわれています。そのクリケットが、野球伝来といわれる1872年以前に、日本に伝来していた可能性があります。そうなると、クリケットの伝来が野球の伝来ともいえる可能性が出てきました。
1868年(慶應4年/明治元年)日本初のクリケットクラブが発足した年
この年は日本が大きく変わった年、江戸から明治へ急速に時代が変化しました。世の中は荒れていましたが、日本クリケット協会によると、日本初のクリケットクラブが発足した年になります。
1868年(慶應4年/明治元年)の出来事。
- 五箇条の御誓文発布。
- 戊辰戦争勃発。
- メトロポリタン生命保険会社が設立(現在のメットライフ生命)
- 「江戸」が「東京」となる。
- 慶應から明治へ改元。
五箇条の御誓文発布
1867年に発布された王政復古の大号令により、明治政府が樹立。翌年1868年には政府の方針を打ち出した五箇条の御誓文が公布されます。これは、広く意見を聞いて政治を行い、外国から新しい知識や技術を取り入れて国の発展につなげるという内容でした。ここから、日本は急激に国際化が進んでいきます。
戊辰戦争勃発
江戸幕府を倒そうとする新政府軍と、旧幕府軍と呼ばれる江戸幕府の軍隊が衝突。戦争が起きた地名から「鳥羽・伏見の戦い」と呼ばれています。この後、争いは1年半続き、日本中が戦争状態となりました。
1868年の干支が「戊辰」だったことから、この戦争を「戊辰戦争」といいます。ちなみに、1924年の干支は「甲子(きのえね・こうし・かっし)」。この年、阪神電鉄により“甲子園球場”が建設されました。もちろん、干支
メトロポリタン生命保険会社が設立(現在のメットライフ生命)
2017年から2022年までの5年間、西武ドームのネーミングライツを取得していた“メットライフ生命”は、この年に設立されました。長い歴史のある企業だったのです。
「江戸」が「東京」となる。
江戸が、東京と改められました。
しかし東京という地名は「東の都(京都)」という意味であるため、東京はあくまで「京都の代理」ということになります。これは、正式に京都から東京に首都が変わったという「遷都(せんと)」が交わされていないのが原因です。首都機能をどこに設置するかを決める「奠都(てんと)」という微妙な言い回しで宣言されていますが、首都移転の反対意見に対する「ごまかし」だったことは容易に想像できます。江戸から明治への転換期に、相当な混乱があったことは想像に難しくありません。世の中は戦争の最中だったのですから、よほどの強行採決だったのではないでしょうか?
そんな中、日本で初めてクリケットのクラブが発足しました。政治は混乱していましたが、人々は新しい文化を貪欲に取り入れていたようです。
慶應から明治へ改元。
1868年は、元号が「慶應」から「明治」へ変わった年でもあります。多くの外国人・海外文化が日本に来るようになり、また日本からも多くの人材が海外に向かうようになりました。「文明開化」といわれる時代、この頃になると外国文化への違和感が薄くなっていたのでしょう。
しかし日本全土を巻き込んだ「戊辰戦争」が起こっている最中に、クリケットのクラブが発足したというのも不思議なものです。片や戦争、片や娯楽。人々の生活が一気に進化した時代ですが、国内は大混乱だったようです。もしかすると「文明開化」は、一部の人間のみが対象だったのかも知れません。
ちなみに、日本で初めて芝生のクリケット競技場が作られたのは1876年。現在はその跡地に「横浜スタジアム」が建てられています。